2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

極寒の地にに住む人の映像に、 灼熱のサバンナでヤギを追う少年の写真に、 「そんなところに住まなくても」 と、言う人がいる。 ココは台風銀座。 「そんな島国にへばりついて住まなくても」 と、世界では言われているだろう。

何かを変えなくちゃ、と思う人が増えた。 それは好ましいことだけど、 「どちらか1つ」を選ぶこととは違う。 多党制のこの国で、見えるものを見ないで済ます人が多すぎる。

どんなに辛くても、 必ず、食べて、飲ませて、洗濯して… 生活って、生きるって、そういうことだ。 それが基本なんだけどね。

いい加減大人同士で家族なんだから言葉で解ると思ってた。 意外と簡単に、切り捨てられてみて解った。 本当の結びつきは信じ合えるかどうか、だけなのだ。 信じてもらえなかったので、 人生の秋の入り口で、一つ選び、一つ捨てた。

何が哀しいかといえば、特にない。 故郷の山は色づく、毎年同じように。 雪が降り、銀世界が、緩んで陽炎になって春が来る。 根っこ「Home」はちゃんとそこにある。 帰る家「House」が無くなっただけだ。

衣食足りて、礼節を知る。とは、 血縁の中にすらあることが判った。 次に会うのはどちらかの遺影に、だろう。

20年前に捨てたはずの家を、 故郷だと勘違いしていたらしい。 私の故郷はあの「House」にあるのでなく 総天然色で思い出せる「Home」にあったのだ。 器ではなく、輝く思い出の中に、いつでも帰ることができる。 会いたがってくれる友人も多数いるのだから。

真夏の一大イベント、甲子園の大会が終わった。 明日から彼らは何を見つめていくのだろう。 私は18の夏、全国大会の後一週間、食べているのか眠っているのか 「生活」している感覚がなかったのだけど。

朝から夜中まで練習漬けの2日間。 大人には、こんな真剣な遊び方が楽しい。 音楽のことだけ考えていればいい、幸せ。

私の祈りに応えてくれるのは、 今はベランダの小さな畑だけだ。 彼らは言葉を持たないが、 静かなエネルギーに満ちて、ただ、そこにいる。

もういいよ、 がんばらなくてイイよ、 横になって、眠って構わないんだよ。 どれだけその言葉を渇望していることか? でも、私がワタシに言ってあげるしか道はない。

初めてあなたの夢を見た。 修羅場で怒鳴り合いながらも、本音をぶつけ合っていた。 実際は互いに涼しい顔をして、 ひと言も真実を口にせず、毎日を進んでいく2人。 友情すらなくなったけど、「大人」だから。

「勝ち組」(?)の生活とは? 仕事から急いで帰り、慌てながらもバランス良く作った食事。 おかずだけでご飯要らないと3歳児が駄々をこねる。 相手が子ども、でもちゃぶ台をひっくり返したくなる。

こじれきって、本当のことを一度も話さないまま終わった恋でも、 お互いの仕事のことはいつも一番先に気がつく。 なぜだろう。友人としても終わったはずなのに。

作付け農家が無くなって数粒の種だけが残っていた「和綿」。 「酔狂」と言われながら撒いては種を取り増やし、撒いては… 絶滅させない、意志。 その心意気に賛同して我が家のベランダに、 今年3本の和綿が蕾をつけている。

夏期休暇とは名ばかりの、 スケジュールぎっしりの「行事」を終え、 明日から「ふつううの生活」が戻ってくる。 むしろ、安堵しているワタシがいる。

なぜ、この季節にだけ戦争関連特番をやるのか? =視聴率が欲しいからだ。 マス媒体の「平和」なんてその程度。

子が産まれてくる家庭を選べないように、 親も産まれてくる子を選べないものだけど、 どんな組み合わせでも「果たすべき役割」はある筈だ。

365日のうち、 自分のためだけに使う1日が欲しい。 妻でもなく母でもなく娘でもなく勤め人でもなく、 丸裸のワタシ自身でいる日。

思い出の詰まった古い校舎が取り壊されていく、 そんな風にあなたの変わり様を見ている。 いつから、そんな瞳をするようになったの?

コントロールの利かない、 スピードの調節もできない、 でも止まることもできない、 私という、乗り物。

同僚の事情を知らない励ましに、 「ありがとう」と言えないときもある。 細かいことを言わず「早く帰れよ」という上司がありがたい。 励まし、と、気遣い、の差なんだな。

誰かと話すのが辛い日は、 一日中本を読んでいたって良いじゃないか。 有給休暇はそのためにあるんだよね?

8月6日を生き残ったから、地獄を語るのが自分の天命だと、 話すその人の目は今でもあの日を見ているのだろう。 私は、ただ祈り、誓うことしかできないけれど。

我が家の菜園は今年も危機に瀕している。 手入れは良いのに、東京は暑すぎるから。 10年後にはパイナップルでも育てるか?http://www.1okunin.net/index.php

邦題の「彷徨える霊」、はニュアンスがずれている。 「彷徨える魂」の方が正確。 人気があるとは言えないオペラの間奏曲だが、 私には四半世紀分の想いを打ち明ける、相手だから。

疲れたな、と思ったら、 いろんなものを捨ててみる。 そうするとホントに大切にしたいものが見えて 少しだけど、元気が出る。

人間が好きでなきゃ、音楽なんかやってません。 作曲する人間と演奏する人間と聴く人間、 最低でもその3者がいるから、音楽がある。

子どもが嫌いだ、とハッキリ感じた。 相手の状況構わず自分の思うことを押しつけ、 他は関係なし。休みの日の夜中なのに、何もかも終えたのに。 まだ私をこき使いたいか? 壊れそうな自分の中で気がついた。 …大人にもいるよな。