深呼吸する言葉・家族

酷い低血圧で、起きあがれないまま考える。 さっきまでネットでサンタの位置を追いかけていた4歳次男坊。 彼へサンタクロースの【預かりモノ】を、どう届けるか?

家を出て実父の元で暮らす長男と 私と彼を養子にしている夫3人で一年ぶりの再会。淡々とした会話。でも、 何が前と違うのか解った。 男同士の会話になったんだ。

あのころの幸せによく似たシーンだった。 次男坊と、私達、そして祖父母でお食事会。 何もかも、名前まで捨てたくて居なくなった長男の、 10年前の笑顔もこうだった。

一人でいることと、独りでいることと、 一人で居たいことと、独りで居たいこととの差は 果てしなく大きい。

次男の予防接種(新型インフルエンザ)が済んだ。 家出したままの長男の、 母子手帳を見る度に、 君の健康を祈る母をいつか思い出してください。

長男はまだ帰るつもりが無いらしい。 楽な方に流れていくのは、 それはとても危険なことだと、 寄り添っていたのに伝えられなかった。 母親なのに。

揃ってインフルエンザの予防接種。 いつもなら、長男も一緒にいたはず。(家出中) かかりつけ医も心配する、この下町の人情に涙がにじむ。

咳き込んで苦しがる子をさすりながら、 これが自分の方が気が楽だ、と思う。 たとえ一晩中眠れなかったとしても。 偏屈で頑固な老人になった父母にもそんなときがあったのだろうか。

創り上げることばかり考えていたから、 変質していくことが受け入れられなかったのだ。 「家族」という、時間と共に変わっていく、容れ物。

3才で3回目の運動会。 一ヶ月も練習したのに、次男は本番でオリジナルダンスを踊っていた。 初めて泣かずに参加できたってことで、私が泣けてきた。

不在になって、はじめてわかる、当たり前の家族の形。 ただ居ることが、どんなに支えだったかも。

無理を言うこともよくあるけれど、 それはお互い様だよねって。 それが家族の家族である力かな。

たくさん、愛していても、 たくさん、愛されるとは限らない。 必ず繋がってはいるのだけれど。

まっすぐに、ただ真っ直ぐに。 照れもなく、計算もなく、微塵も疑いを持たず、 3才の次男は祖父母の腕に飛び込んでいく。 それがどんなに貴重な「愛」かは、 彼が親になって初めてわかるだろう。

作り上げるのは、時間も手間暇もかかる。 けれど些細な一言で崩壊するのは、 恋愛も家庭も同じだ。 唯一の救いは、時間が解決する可能性があること。

次男3才、初めての「遊園地」。 乗り物運転、アイスクリーム、風船…、ピエロ。 こんなこと忘れちゃうんだろうけど、親にとっては一生の宝物。

無くしてみて気づくのは、恋愛も家族も同じ。 長い間にお互いに「過ぎた甘え」から、 気がつくと、互いが疲れ切っている。 後戻りできないほど。

息子が家を出て行きました。 18才になったら、出そうと思っていましたが、 14才で勝手に居場所を見つけて、行きました。 母親は背中を見送ることしかできないのでしょうか?

いい加減大人同士で家族なんだから言葉で解ると思ってた。 意外と簡単に、切り捨てられてみて解った。 本当の結びつきは信じ合えるかどうか、だけなのだ。 信じてもらえなかったので、 人生の秋の入り口で、一つ選び、一つ捨てた。

衣食足りて、礼節を知る。とは、 血縁の中にすらあることが判った。 次に会うのはどちらかの遺影に、だろう。

20年前に捨てたはずの家を、 故郷だと勘違いしていたらしい。 私の故郷はあの「House」にあるのでなく 総天然色で思い出せる「Home」にあったのだ。 器ではなく、輝く思い出の中に、いつでも帰ることができる。 会いたがってくれる友人も多数いるのだから。

子が産まれてくる家庭を選べないように、 親も産まれてくる子を選べないものだけど、 どんな組み合わせでも「果たすべき役割」はある筈だ。

子どもが嫌いだ、とハッキリ感じた。 相手の状況構わず自分の思うことを押しつけ、 他は関係なし。休みの日の夜中なのに、何もかも終えたのに。 まだ私をこき使いたいか? 壊れそうな自分の中で気がついた。 …大人にもいるよな。

14才と3才の息子二人反抗期ど真ん中。 人生の中の、「怪獣ごっこ中」と思うことにした。

ま、所詮別の人間なんだな。やっとそう思えるようになってきた。 子離れ、進行中。

都議選決壊興味を持つようになった、長男。 それはいいが、「信長の野望」と比較するのは止めなさい!

今、苦しまなくて、いつ苦しむんだ? 今、読まなくて、いつ読むんだ?大人になる前に 通る道を通らないと、 大きな子どもになっちまうんだから。

中学生の時は、己しか見えない。 剃刀のような同じ言葉を息子に投げつけられて 父の日さえ無言だった自分に、今気づいた。 息子の痛みにも。

挨拶とか、感謝とか、ほどほどの礼節。 忘れちゃいけない。 家族ってのはね、顕微鏡で見たらホントは他人の集合体なんだよ。 だからさ。

「ごめんなさい」のたった一言が、 タイミングや語調で、 相手を怒らせたり敵に回すことになるなんて、 14才の時は思いもしなかったな。 謝ればいいってもんじゃないんだよ。 反抗期の息子へ。